当時は美術学校の学生で、5時に起床してお弁当を
作っていました。ちょっと早めに工房へ行って、連休前に
焚いた作品を窯出ししなければ。窯周りを片付けておかなければ。
みんなの卒業制作作品が、びっしり詰まっていますから。
研究生としてちゃんとしないとね、と意気込んでいた朝でした。
ご飯を炊き終えてガスを消した瞬間、地面が突き上げられるような
地鳴りがして、ドスンと降りたら揺れだしました。
グラグラしながら、大宮の実家へ電話をしました。
まだ夜が空ける前でしたから、家族もびっくりしたようです。
「とりあえず、大丈夫だから」と告げて受話器を置きました。
寝ぼけていた家族は、テレビを見て唖然としたそうです。
その後は、電話回線がパンクして何処にも繋がりませんでした。
夕方になって、ロンドンに駐在していた同級生から電話がありました。
欧州でもトップニュースとして報道されたそうです。
国際電話は衛星回線。彼女が皆に無事を知らせてくれました。
倒れた本棚、散乱し割れた食器を目の前にして、呆然としていました。
当時テレビが家にはありませんでした。ラジオに耳を傾けながら
何が起きたんだろう。神戸?淡路島?火事?阪神高速封鎖?
情報が錯綜したのもありますが、受け取る側も冷静ではなかった。
何のこっちゃ?六甲アイランドの液状化って何?
まともにものが考えられませんでした。
ぺたんと床に座り込んで、ぼんやりしていました。動けなかった。
陽が高くなってから、 駅前の電気屋さんに行ってみました。
黒い煙が黙々と神戸の街から立ち上っているのが、ブラウン管に映し出されています。
何があったんだろうか?映像は目に焼きついていますが、音声はまったく
耳に入ってきません。高速道路が倒れるって?ウルトラマンが暴れたわけでもないのに。
下らない冗談を思いつくのは、現実逃避でしょうか。
地震?関西には絶対あらへんわぁ、って大家さんは笑っていたのに。
「震度2の揺れがあったら、大仏さんかて逃げ出さはるでぇ」と。
そうや、大仏さんがびっくりして立ち上がったさかいに、こんなに揺れたんやね。
エライことしはって。かなわんなぁ、ホンマに。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら
自分を笑わそうとしていました。
あれから、17年経ちました。忘れることはありません。
ただ、風化はしている。ヒリヒリしていた傷口は、痛みが和らいでいます。
歳月が、17年という暮らしの積み重ねが癒しとなりました。
今日は静かに、冥福を祈る一日とします。
合掌。